組織について
ーそのT−必要性と統率
多くの人が集まったらどんな場合でも、無秩序に成る。これを秩序有るものにするには、何らかの「力」がいる。放っておいては、
無秩序のものは秩序有る物には成らない。ばらばらの状態からまとまった集団になり、
1つの目標に向かって統一した動きをする様に成るには、段階に応じて強い力が作用していなければならない。
組織図は野球では守備位置やバッテイングオーダのようなものだ。
草野球でも、監督が居て良く練習するチームでは、
選手の守備位置やバッテイングオーダーがキチンと決まっていて、専門家としての訓練を日々行っている。
このようなチームは、纏まりがあって強い。そして概してこのようなチームの監督は野球狂と言って良いほどの野球好きで、
野球には精通している。
これに反して弱いチームは、守備位置やバッテイングオーダーがキチンと決まっておらず、
試合を始める直前に集まったメンバーを見て、守備位置やバッテイングオーダーを決め試合に臨む。したがって、チームとしてのまとまりが無く、試合の結果は期待すべくもない。
こういうことは野球のみに言える事ではなく、スポーツ全般に言える事だと思う。
「練習もせず、
守備位置やバッテイングオーダーも決まっていないこのようなチームは、チームとして扱う事自体間違っているのではないか、
第一これでは対戦をする相手チームに失礼ではないか。」と話をすると、大方の経営者の方々は頷き賛成される。
さて会社は社長を監督とするスポーツチームに似ている。守りもあるし攻めもある。そして社長は、従業員に向かって「プロ意識」を持って仕事しろ、と檄を飛ばしている。その通りで、従業員はその道のプロでなければ、チームである会社は試合に負けて衰退していく。
ではあなたの会社の組織図を見せてください。攻撃と守備の布陣が明示されている組織表を見せてください。そして、纏まりのある強いチームを作るために、ポジションやオーダーを決めて、専門家としての訓練をどの様にしているか見せてください。これが無ければ「チームとして扱う」訳にはいきません。
「チームとして扱って下さい」ということ自体失礼な話では有りませんか。
監督が守備位置やバッテイングオーダーも決めないで、メンバーに専門家(プロ)になれという。言われたメンバーは、自分流に努力をする事に成りますが、これでは片手落ちで、結果として穴だらっけのまとまりのない集団が出きるだけで、強いチームにはなれません。
適性に合わせて守備位置やバッテイングオーダーを決めて、
弱い所を補強しバランスの取れたチーム構成にし、選手層も出来る範囲で厚くする。そしてチームとしての連携プレーが出来るように訓練する。これで始めてチームとしての条件がそろったといえます。
あとは訓練の内容です。
厳しい訓練に耐え、チームを盛り立てようと主体的に行動する専門家集団に仕上げる事です。
貴方の会社はチームになっていますか。どんなチームですか。
厳しいが楽しいチームですか。基本を厳しく指導し、専門能力を高める訓練をしていますか。統率がなくミスしても怒られないチームですか。
ファインプレーをしたら、みんなで祝福しますか。
エラーしたら「弱点」を正しますか。其れとも見て見ぬ振りをしていますか。愚痴を言いますか。
―そのU―組織力と発展
会社は色々な専門家の集団を有機的に結合して、仕事を通して競争の中で勝ちつづける事を求められている一つのシステムです。
夫々の集団は、専門性の高い「個」の集まりであり、集団として時代の要求に即して専門的な「力」を発揮できなければ成りません。営業には「販売力」や「企画力」、
技術には「技術力」即ち「開発力」「生産技術力」等々です。これらの「力」の源泉は、「個々」の従業員の「やる気」以外の何物でもありません。
少数精鋭主義と言われますが、精鋭を集めても、「やる気」が無ければ「精鋭」の意味がありませんし、やる気があっても集団として統制が取れていないバラバラの状態では「力」になりません。
従業員一人一人の「やる気」こそが企業にとって最も大切な「エンジン」であり、個々のエンジンを一つの方向に向けて束ねる明確な使命が示されて、はじめて集団として大きな力を発揮できます。
また、会社は専門家の集団を有機的に結合したシステムですから、システムはシステムとして高性能に働かねばなりません。システムが高性能に働くには、
集団と集団とが主体的に結合して、意思疎通を上手く行う性能の良いチャンネルを築き上げなければなりません。チャンネルの性能が悪くて「フンズマリ」現象を起こしていたのでは、個々の集団の力が強くても、システムとしての力は発揮できません。逆に個々の集団の力は人並みでも、チャンネルの性能が良くて、夫々が主体的にお互いの力を持てる以上に引き出すような作用をすれば、このシステムの性能は大変高く、
大きな成果を上げる事が出来ます。同時に相乗的に個及びその集団を活性化して個及びその集団の力を、新陳代謝をしながら時代の要求に即して強くします。即ち、例えば営業と技術が緻密なコミュニケーションをしながら互いにサポートしあい、切磋琢磨し自己啓発をするような自由で積極的な、競争原理に基いた関係であれば、良い成果を上げられ、競争社会の中で存続可能なように、自らを革新しながら発展するのです。
「やる気」を引出し、使命を明確にして方向を示し、必要にして十分なチャンネルの増殖を図り、チャンネルの性能を上げる働きがマネジメント力と言えます。
各集団が中央に向けて太いチャンネルを持とうとするような、中央志向の強いシステムや、いわゆる中央集権的なシステムでは硬直化・腐敗化の運命を辿る事になるでしょう。
―そのV―拡大と衰退
組織には目的があるから、目的を達成する為に「力」を付けようとする。そして組織は大きくなっていく。組織の構成員は、折角参加した組織が崩れ去らない様に力を付け、大きくなるように努める。
組織がその目的を合理的に果たすためには、構成員が役割分担をして運営に当たる事になる。そうするとそこには責任と権限の機能が生じ命令系統が出来あがる。即ち権力化の芽が生じたのである。
組織を力強いものにしようとすれば、組織を大きくしなければならない。組織を大きくするには責任と権限の機能を強くしなければ果たせない。こうして組織は巨大化し、権限も強化されて権力と言われるものが形を為してくる。
権力は組織がなければ行使できない。強い権力は大きな組織に基礎を置く。
組織に不利になる意見や行動は、権力によって制限される。これは組織が目的を果たす為に強い権力が生まれてきたことを考えれば当然の事である。
構成員個人の意見や行動が組織によって制限されるようになると、自分の考えを持っている人は窮屈になり異を唱える事になる。組織が小さくて統率する力が弱い時には分裂して、丁度蜜蜂の巣分かれのように分かれる。組織が潰れずに残れば、分裂の危機感を梃子に、権限の強化と拡大を図る。或いは、組織としての力は極端に弱くなり消滅する。
組織が大きくて力が強い時は、周囲より個人の自由は封じ込められて、単なる変わり者、異端児などといわれて隅に追いやられることになる。
このような状態になると、組織の構成員は、組織の危機を感じなくなると同時に、自分自身の自由な考えを、自ら封じこめて権力に従うようになる。そして組織の活力は徐々に萎えていく。
組織にとって統率する力が強いことが、組織を大きく出来る条件であることは理解できる。其れと同時に組織を構成する多くの人は、組織が混乱しない様に、自分自身の自由な発想による行動を控えて、主体的に考え行動するのを止め、周囲に同調する様に努める。
この様に組織は、個人に主体性や自主性を控える努力をさせて、活力を犠牲にしながら拡大していき、規則通りにしか動かない硬直化した集団になり腐敗して行く。
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